世界の観光スポット(ポーランド)のお話 2005年11月吉日 |
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【ポッポッポーランド】 今回は、Sさんの高校時代の老師?恩師?から世界の観光スポット 紹介です。 ちょっと、国際色が強まってきました。 まいどSくん。お久しぶりです。 と言っても、ご無沙汰しているのはいつも僕のほうだけど・・・。 お許しあれ。 今回も、元気そうな便り(ページ)、頼もしい限りで何よりです。 ところで、(魚醤)とは?漢字と画像から、魚を原料としてつくる醤油 のことかいな? タイで醤油というのは、すべて原料は魚?だとすると、日本の醤油 とは、まるで違う味なのでしょうね。 (先生はSさんのページを斜 め読みしている様です) 【こっからポーランド】 僕は,2週間ほど前、ポーランドを訪ねてきました。 モスクワ経由で首都ワルシャワに飛びました。ここはキューリー婦人 やショパンで有名な街ですが、旧市街が観光の目玉になっています。 ところが、此処は第二次大戦でほとんど廃墟と化してしまったので、 今在る街は戦後再現復興されたもの。残されていた銅版画や油絵、 人々の記憶などを手がかりにして、ほぼ完全な姿になる迄、執念で 復元したというから驚きました。 ![]() 一つ二つの建物ならざらにある話だけど、歴史ある沢山の建造物の 並ぶ街全体の復元だから気の遠くなる話。子供たちも力を合わせて 成し遂げたと言うから、ワルシャワ市民にとっては掛け替えのない街 であることがよく分かりました。 それにしても、そのポーランド人の頑張りというか根性には驚かされま したね。 その一部を画像で見て下さい。旧市街の入り口とセンター広場です。 ![]() ![]() そこからバスで南に下り、アウシュビッツの強制収容所を訪ねました。 ”シンドラーのリスト”という映画を2回観ていたので、その現場に立っ てみたかったのです。 (Sさんもシンドラーリスト見た、白黒で、主人公がダークマン演じてた 人だった、最近は、バットマン最新作に出てた。。) 5年間で150万余の主にユダヤ人の命が虐殺されたいう収容所は、 今は博物館として保存され、世界遺産としても登録されています。 当時の数少ない写真や犠牲者の遺品が大量に保存され展示され ていました。 死体から切り取った髪の毛が山をなし、子供らの小さな靴や眼鏡、 義足、鞄、鍋や食器などが部屋一杯に残されていました。 金の入歯は溶かして延べ棒にされてドイツに送られ、髪の毛もドイツ の工場に送られて丈夫な布に加工されたようで、その現物も展示さ れていました。 ![]() ![]() その布を作った人、使った人の神経、想像することが出来ません。 ガス室、焼却場や処刑場、牢獄、バラック建ての収容所などなど 、悲劇の現場は限りなく重い空気に包まれていました。映画のシ ーンが思い出されましたが、決して誇張ではなかったと改めてそ の悲惨な歴史に胸の痛い思いをしました。 添付した画像は、フル稼動した焼却炉、犠牲者の靴、そしてトイレ。 極寒の朝、トイレを使いたい人が行列をしていたと言う。衰弱の余り、 この円い穴から落ちてしまう人もいたと言う。酷い話です。 たくさんの想像を絶する話を聞かされました。 (トイレ好きのSさんもこの写真には圧倒されました。。。(>_<)(*_*) 戦争は、人間を悪魔にしてしまうのですね。沢山の悪魔を育てた ドイツのナチでしたが、この収容所を訪れる人で、一番多いのは ドイツ人だそうです。そして、この施設の維持管理の費用を一番 多く負担しているのもドイツだそうです。 ドイツは忌まわしい歴史をしっかり見つめ、2度と過ちを繰り返し てはならないと、懸命な努力をしているんだなあ、と思いました。 それから、ビエリチカの岩塩坑やコペルニクス生誕の地:トルン や更に北の外れ、バルト海に面した港町:グダニスク(写真)まで 足を伸ばして中世の佇まいや琥珀にも見とれてきました。 天候にも恵まれ、ポーランドを縦断する形で凡そ700キロのバスの 旅、森の国は丁度黄金の秋を迎えており、車窓に流れる広大で 美しい景色など満喫してきました。 そうですね、タイも魅力だから、S君がヨボヨボにならない内に訪 ねてみたいと思います。 せめてそれまでは、元気で居て下さいよ。お願いします。(アッハッハ) それでは、また。 どうも、おじいちゃん先生からのポーランド旅行記報告でした。 それにしても老師は私より多分長生きしそうな勢いですね。 この老先生さま、年に1−2回の海外旅行を楽しんでいますので、 今後も長生きで世界の観光スポット投稿を期待しております。 m(_ _)m いらっしゃいませポーランドそしてタイランド。 |
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