世界の観光スポット(フィリピン)のお話
                                       2006年5月吉日 
【ちょっとコーヒーブレイク】 
 この処何となく慌ただしく時が流れて行き、えっっもう土曜日?
 えっっ月末じゃないの、、時の移り行くのは早い様です。

 3月中旬に腰の筋肉断裂の事故があったのが、遠い過去の様に思
 われるSさんでございます。

 Sさんの会社は5月末が期末となり、5月31日の棚卸しは一大イベ
 ントになります。メッキ事業開始にあたり、QC(品質管理)レイアウト
 を少し変更しました、指図だけで良いのに、少し手を出してしまった
 ので、汗かいて体がだるいSさんです、気持ちより体がの方が正直で
 ある様ですね。お陰様で、前よりはお客様に来ていただいても見せら
 れる工場に本の少しですが近づいた様に思われ、ちょっと達成感を感
じるSでさんでございます。

 フィリピン観光案内も友人のG氏からネタをいただいているのに、一向
 にご紹介出来ずにm(_ _)m(-_-;)次第です。
 Gさんご免なさい、、、このリポーターのG氏は、アロヨ大統領の前の
 俳優出身大統領を思い起こさせる、ハンサムな方である。それでは
ご紹介いたします。

【フィリピン】
 私の第2の故郷アンゲレス(日本での表記はアンヘレス)へ行くのは2度
 目のこと。3年ぶりである。せいぜい1週間有給休暇の限度という私だか
 らこれはいたしかたのないことだ。(Sさんアンギラスなら映画で見たが(^_-)

 その頃外務省が発表している海外危険情報でフィリピンの危険度が1
 (注意喚起)から2(観光旅行等延期勧告)に引上げられた1週間後位のこ
 とである。

 引き上げの理由はウサマ・ビンラディン氏縁のアブサヤフという武装集
 団が同時多発テロの報復としてアメリカがアフガニスタンに攻撃を開始し
 たことによってこの時期何らかの動きを起こすのではないかと思われた
 から。

 事実サンボアンガ市でホテルが爆破されるという事件が起こってこの引
 き上げのきっかけになった。こんなことから帰郷を延期してはという打診
 もあったがもうチケットも手配済みだったこともあって強行突破を決めた。

 というのも事件はミンダナオ島を拠点に起こっていること、出発を多少遅
 らせても安全になる保証もなく(どうせあの国はどの道ある種常に危険な
 のだ)

 余談ながらこの日は成田空港の壁に設置された大きなスクリーンにメジ
 ャーリーグのデビジョンシリーズ第5戦が写し出されシアトルの佐々木投
 手が力投、プレイオフに駒を進める様子が映し出されていた。
 私がフィリピンへ向かったのはこの日から約2週間後の29日のことである
 
 当日は6時過ぎに家を出て成田に着いたのは7時過ぎJ2という帰国時ター
 ミナル返しの駐車場にクルマを預け7位半には第2ターミナルに着いた。



 チェックインを済ませるとロビー中2階のレストランでのんびりコーヒーを飲
 み8時半に搭乗口に向かった。
 荷物チェックはテロ事件を受けてやや厳重だったが、日本人の出入国カ
 ードが廃止になったこともあって出国審査はスム−スになり9時前には
 A-64ゲートに着くことができた。

 フィリピン航空(PR)は今回が2度目だが相変わらず帰国のタレントやフィリ
 ピン人と結婚しているかまたは恋愛中の日本人等でごったがえしておりテロ
 事件などどこ吹く風といった感じである。私は独身時代JAL一辺倒だったが、
 家庭持つとPRにせざる得ない。

 というのもJALは日本では15日FIXより長期の格安航空券は手に入らない
 から数週間以上の現地滞在になると他に選択肢はないのである。という訳
 で行きのPR431便では真中の列4人がけのはしにいたが隣の3人はタレント
 の帰国組。見たところ渡日歴は2~3回といったところか。
 (*タレントとは、エンターテイメンターとしてビザを取得して外国へ行った
 フィリピン人の総称です。)

 はじめのうちは無言だったがだんだんフィリピンが近づくにつれ会話がは
 ずんだ。はじめのうち私はフィリピン人に見えたらしいが、やがて日本人
 とわかると日本語で話し掛けてきた。出身地や通り一遍のことは聞いたが
 内容は既に忘れてしまった。因みに機内食はチキンかシーフードなので
 シーフードにした。味はまあまあ。JALでもないのに茶蕎麦がついていた
 のには笑った。

 そうこうしているうちに約4時間のフライトは終わりNAIAについた。現地時
 間の12時45分頃である。
 フィリピン航空は1昨年あたりからT2と呼ばれる新しい専用ターミナルを使
 っていて今回私は初体験。 で、使用感はどうかというとずばりこのターミナ
 ルのためにPRを使う価値ありといっていいほど。あの暗く鬱陶しいNAIAの
 イメージは一掃されていた。

 (ソーなんですよねSさんも2ー3年程前にフィリピンに出張に行った際、MIA
 (マニラインターナショナルアキノ)空港だったので取っても暗かった。。。

 この空港、30年以上からの建物だから証明がとっても暗い、、雰囲気も。。)

 

 建物はLの字型に建っていてLの外側右半分を国際線が左半分を国内線が
 使っていてPR国際線からPR国内線へ乗り換えはこの建物から出ずにでき
 るようになった。国内線への乗り換えも以前はガンだったので地方へ行く人
 はPRを選択せざる得ないだろう。

 機内からの通路は常に3階部分につながっていて到着の場合ガラス張りに
 なる外壁沿いの通路をLの字頂点に向かって進み2階に下りる。

 Uターンをする形で入国審査、そこを過ぎるとバゲ−ジ用のターンテーブル。
 Lの字の内側に面して税関があり、 ここを出ると出口または国内線出発ロビ-
 に通じるエスカレーターがある。
 建物が明るくシンプルでPR専用とあってあのT1のように入国審査で延々と待
 たされることもなく(バゲージは少々待ったが)外に出られるのがいい。

 もし待ち合わせをするのなら赤白屋根の売店が外の歩道にありその前あた
 りの車道越しで待ってもらうといいだろう。

 因みにこの車道から空港側には一般人は入れない。出迎えを確認したらこの
 売店前を更にL字内側の外に向かって進むと車道を横切る通路があるのでこ
 こを渡る。

 

 この間T1のようにたかりやの荷物持ちや白タク、お金をせびる子供などもなく、
 比較的快適である。まあ彼らにしてみればPRだけのタ−ミナルより他の全路
 線が発着する古いターミナルの方が商売?にうまみがあるのかもしれない。
 駐車場では、手配したレンタカーの1BOXワゴンが待機している。

 このレンタカーのドライバーは一貫して同じである。但しこの3年間にクルマは
 新しくなっていて以前はクリーム色の三菱だったがダークレッドのトヨタに変わ
 った。 以前のクルマもフィリピンとして上の部類だったがエアコンが弱くクルマ
 がマニラの渋滞に巻き込まれるととたんに車内が暑くなるのが困った。
 今回のトヨタはまだ新車とあってエアコンはよく効きだいぶ過ごしやすくなった。

 料金はドライバー付きで1日2000ペソ弱日本円にして5000円といったところ。
 日本よりは無論安いが現地の感覚からいけばかなり割高な乗り物ではある。

 マニラからアンゲレスまでは、エアコンバスという手もあるが、バスターミナル
 はサンタクルスというマニラ北側の下町で荷物が多い場合乗るまでが
 一苦労だしタクシーでも1500ペソ近くかかるだろうからとどのつまりレンタカー
 以外に選択肢はないのである。

 NAIAはパラニャーケにあるので海岸沿いの目抜き通りロハスブルーバードへ
 出て北に向かうとすぐEDSA通りの起点がありその向こうはパサイ市である。 



 これがロハスブルーバードから見たEDSA通りで右の建物がヘリテージホテル、
 一つ先のハリソン通りとの交差店左前にあるのがパサイ版ナナプラザともいう
 べきEDSAインターナショナルエンターティメントコンプレックスというゴーゴーバ
 ーばかりのビルディングがある。

 更にロハスブルーバードを北に進むと日本大使館、ゴーゴーバー群。 かつて
 のマニラの歓楽街といえばこの先のマビニだったが、90年代半ば当時のリム
 市長により風俗営業は一掃されこのパサイ地区とマカティ地区に移ったといっ
 ていい。

 マニラ湾に面した公園、右に見えるトレイダーズホテルを過ぎるとマラテ地区、
 更にエルミタ地区とホテル街が続く。 リサールパークを過ぎると右に進路を
 変えマニラ市役所、更に10数年前Sさんが御難にあったというYMCAここは私
 の友人が以前仕事をしていたところでもある

【ちょっとコーヒーブレイク】

 Sさんの話題が出たのでちょっと補足説明、当時24歳のSさんフィリピンでスキ
 ューバダイビングでフィリピンを訪れていた。

 その頃マニラ湾に面するマビニ通りは、夜の観光メッカであった、ステンレスポ
 ールにつかまり踊るゴーゴーバーが連なるメインでストリートでもございました。
 その後出張で何回かフィリピンを訪れましたが見事にこのマビニ通りは町並み
 が変わり夜の街から昼の街へと変貌を遂げていた。

 さて、スキューバしながら貧乏旅行をしていたSさん、宿泊先はもちろん若者に
 優しい価格のYMCA、ここは個室と、2段ベッドの大部屋があり、懐具合を検討
 し、大部屋に行ったり個室に泊まったりしていました。

 大部屋に泊まっていた時の事、下のベッドの確かスエーデン辺りの北方系ファ
 ランのトラベラーズチェックが紛失、保険屋に確認した処、翌日には香港で換金
 されていた。。。その時Sさんもトラベラーズチェック、

 サインはもちろん英語。。。当時のパスポートは日本語のサインが認められてい
 なかった。。 それからSさんトラベラーズチェックとパスポートはズボンの中に
 薄いポシェットをつけて寝る習慣がついた。。。

 フィリピンは恐ろしい国で現金よりトラベラーズチェックの方が換金率が悪く、
 おまけに購入時の領収書の控えが無いと換金もさせてもらい無いひどい制度で
 あった。その上、他の島に渡る旅に換金率が悪くなると言うおまけ付き、いまは
 どうなっているか(?_?)改善されたか。盗難の犯人は、後日YMCAに宿泊していた
 ホモのフィリピン人と判明した。それにしても翌日香港へ行くルートがあるのが
 怖い国である。

 さぁ本題です、Sさんの受難のお話、フィリピンの首都マニラでもっとも大きく官
 庁街もあるマカティ市での出来事、Sさん船でマニラからセブ島へ渡ろうと思っ
 ていた(船は飛行機より格安であった)時、マカティーのフォードセンターで、親子
 ?の女性から話し掛けられ、セブ島への船の話をすると、

 「それなら私の事務所から電話を掛けなさい」 と勧められ、

 ノコノコと曲がりくねった住宅地を着いて行き、出された睡眠薬コーヒーを
 飲んしまったのだ、幸いお金はほとんど持って無く、実害は上野の買った
 サングラスのみであった。「気分が悪いので」とお暇し、どうやってYMCAま
 でたどり着いたかも覚えていないSさん、最後はSTAFFに抱きかかえられ
 る様に部屋に入ったそうです。
 
 翌日、あまりの悔しさにリーサルパーク近くに警察署行って話したら
 「パトカー代いくら出す?」の提案に 、、、、(-_-;)(>_<)

 そこで近くの観光省まで歩いていきパトカーの要請をして同行してもらったが
 、家の場所が分からなくて捜査断念。。

 良い体験をさせていただいたのを覚えている。。。フィリヒンは危ない国です。
 この頃私の友人の札幌医大I君もマニラ空港から白タクに乗り、高速の上で
 ホールドアップされた経験があり同類合い哀れむの図になってサンミゲルビー
 ルを飲んだものです。

【お話戻って】
 パッシグ川を渡るとマニラの下町。キアポ、サンタクルス(フィリピンラビットの
 エアコンバスはここから
 出ている。)を経てカローカンシティに出てノースEXPウェイに入る。

 

 この入口まで通常1~2時間。 ここからアンゲレスまで は50km位か。
 EXPウェイに入ると道がすいていれば1時間程。都合3時間ぐらいの道のりである。
 暫く郊外の町並みが続くが徐々に田園風景に変わり平野の中の一本道といっ
 た感じだ。
 かつてジプニーで走ったときはずいぶんガタガタに感じられた路面もだいぶこの
 5年の間に改善されたようであのお尻が痛くなるような感触はかなりやわらいだ。

 最高速度は日本と同じ100qだが面白いのは最低速度も表示されていて60km。
 フィリピン製のジプニーなどではそう早くは走れないが日本車なら無論飛ばせる。
 以外に早いのがフィリピンラビットやビクトリーライナーといった長距離のエアコン
 バス。日本の高速バスと変わらないスピードでガンガン飛ばすのである。

 いつもはアンゲレスの出口までまっすぐ行くのだが今回は一つ手前のサンフェ
 ルナンドで降りた。というのも最近ここにSM(シューマート)がパンパンガで初め
 てオープンしたのでこれを見物していこうというわけ。



 すし屋さんと、地元のハンバーガーショップ:ジョリ−ビー(ハチのマーク)

 SMはもちろんマニラやセブなど全国展開しているがその最新店舗がここだ。日本
 で言えばジャスコのような何もない田舎の広大な土地を安くし取得し作られた感じ
 で、クルマがないと買い物に訪れるのは大変だろうと思う。

 中はショッピングモールとスーパーマーケットの組み合わせだが新しいだけあって
 さすがにきれいだ。 建物自体はよく見ると鉄骨作りの割と簡素な作りだが、広々
 としていて機能的にはこれで十分といった感じ。

 ショッピングモールは地元資本のバーガーショップ、ジョリビーを始め様々なテナント
 が入っているが面白いのは、すしのファーストフードチェーン。値段はセットで280ペ
 ソ渡現地人にとってはやや高めの値段。

 それでもかつてはマニラの高級ホテルでしか食べられなかったことや生物を食べな
 い現地の食習慣を思えばずいぶん興味深い展開だ。話の種に食べて見ようと思っ
 たが回りの強硬な反対によって実現しなかった。

 いわく絶対おいしくない上に衛生面が心配だからとのこと。この他衣類や靴の他、
 パソコンや携帯電話ショップ、カーアクセサリなどの店が目立ちフィリピンも徐々
 に中産階級が増えつつあるなと感じさせられた。

 そこで入ったのはKFC。マニラでは以前から珍しくなかったが、パンパンガでもここ
 数年かなり増えていてフィリピン料理にうんざりした時に逃げ込める日本と同じ味
 ではある。はやっていたのはクリスビーチキンで値段は日本よりかなり安い。

 サイドメニューにライスやスパッゲティーがあるのがフィリピンらしいとろだ。
 味の方だが、厳密に言うと少し肉がパサパサした感じではあるが、日本とほぼ同じ。



 SMのスーパー入口付近にはミニ観覧車まであり(1回乗るのに30ペソと結構な
 値段)子供も飽きさせない配慮がされている。 さて肝心のSMだが、食料品売り
 場に関しては完全にアメリカンナイズされていて、日本のスーパーよりゆったり作
 られているほど。だんだんフィリピン人もこういったこぎれいな店で買いものする
 ようになってそのうちパレンケ(市場)のようなところはすたれてくるのかもしれない。

 かつての日本がそうであったように。SMで買い物をして再びEXPウェイへ戻って
 次のアンゲレスでおりる。もうそこはジプニーとトライシクルばかりが走っている
 地方都市の風景である。

 パンダン道路、マガランアベニューを通り、旧鉄道跡地のすぐ近くの住宅街が目
 的地である。 着いたときは既に暗くなっていて、私が3年前に買った小型ジプニ
 ーとは暗がりでの対面となったが間もなくこれに乗ってマックスフライドチキン
 というフィリピン風ファミレスに出かけた。

 フィリピンといえば以前は日本でいうファミレス感覚の店が少なくちょっと安上がり
 に気のきいた食事をと思った時困ったものだが、ごらんのように結構便利な店
 がここ数年でかなり増えたようだ。

 ごはんとおかずがひとつの皿にのってきて値段は150ペソ(400円弱)。
 これにアイスティーが15ペソ(40円弱)。6人で行って3000円でおつりがくる位だ
 が味の方はフィリピンの中ではまあまあ、日本の基準でいえばいまいちといっ
 たところ。アイスティーは私だけ氷を入れずに飲んだ。
 この日は家に戻って少しサンミゲルを飲んでカラオケを歌ったあと就寝。

 30日は朝起きると再び私が買って使っている小型ジプニーに乗ってみた
 まっクルマが馬鹿高いフィリピンで35万円という比較的買い得な値段だったと聞
 いているがまずまず見た目はきれいだ。このジプニーで昼前教会に洗礼式を申
 し込みに行くことになった。

 運転をやってみるかと聞かれたが左ハンドルで運転マナーの極端に悪いフィリピ
 ンではさすがにその気にならなかった。



 写真は家の前、ナバロ通りだが初めてここを訪ねた、
 もちろんトンドのようなスラムではないがマニラのツーリストスッポト位しか知ら
 なかった私にとって当時はかなりのカルチャーショックではあった。

 なにしろ通りには平日の昼間から訳のわからないやつがたむろしていて知ら
 ない人が気楽に入れるような雰囲気ではない。

 これらの人は家の中が暑いから外で涼んでいるとのことだが、失業率の高さ
 も関係していると思う。 日本では見られない光景だ。 と、家を出ようとすると、
 なんと私のジプニ-のエンジンがかからないではないか。

 購入後初めて出資者の私が乗ろうというのにである。 トホホ多少きれいに見
 えてもやはりフィリピン製だともあれ教会にいく前にネポマートという衣類雑貨
 などが店を連ねるショッピングセンターに行くことにした。



 サントロサリオという地区にあるこのショッピングセンター
 はアンゲレスで買い物をするには欠い場所だ。衣類はジーンズが日本円で
 1600~2000円位、ポロシャツが1000円位。私は渡比のたびにここで衣類を
 買いだめしている。

 昨今流行っているのがルイヴィトン等の模造品。一説には韓国製というが
 とにかく安い。ハンドバックで4000円位、財布なら1000円位。
 無論よく見なければわからない程度にはよく出来ている。日本へのお土産
 に何点か。。。。
 買い物の帰りにネポマートの脇にあるというフィリピンの古い民家風に建て
 られたステーキハウスで昼食。 

 

 ステーキといっても味は日本の肉とは比べるべくもないことは自明の
 理なので、ハンバーグランチをオーダーした。

 するとこれが案外美味いのでないの。特に自家製のドミグラスソース
 がフィリピンらしくなくピントのあった味ではないか。
 ここは経営者が中国人とのこと、納得である。写真はステーキランチ
 で値段は100ペソ(250円位と激安。
 これも予想に反して案外美味しかったようだ。この雰囲気なら夜来ても
 風情があって悪くなさそうだと思った。

 この後、ブレッシング(洗礼式)の申し込みにサンフェルナンドの教会へ
 行きいったん家に戻って昼寝。 この時には今朝エンジンのかからな
 かった私のジプニーも直っていて)晴れて 初乗りとなった。



【お誕生日会】
 ジョリビーは現地資本のバーガーショップでマクドナルドとはライバル関係。
 マクドナルドは日本とほぼ同じ味だがジョリビーはやや味付けが甘め、
 よりフィリピン人の好みに合ったテイストだ。

 各店舗にはパーティ用の個室が設けられていて(この点はマックも同じ。)
 少しお金のある家ではここで子供の誕生パーティーをやることはある種定
 番になっている。予算は50人規模でだいたい12000ペソ(3万円位) 

 無論金持ちは更に高級なレストランやホテルを使う場合もある。






 パーティだが司会付きで2時間ぐらい子供が喜びそうなゲームなどで盛り
 上がったところで最後に店のキャラクターのジョリビーが登場して祝福し
 てくれるというパターン。子供には何も判らないだろうが
 親戚中に存在を知らしめる意味合いがむしろ大きいのだろう。

 この日の夜便でサウジアラビア人の友達が訪ねて来るとかで翌31日は
 朝から皆このサウジアラビアからの珍客に興味しんしん。

 朝起きるとどこからともなくいろいろな人が入れ替わり立ち代り集まって
 は彼を見て行く。私がはじめてのときがやはりそうだった。

 この辺はいかにもフィリピンらしいところだ。しかしあまり興味本位なので
 少し彼の感情を害したようだ。
 彼につけたあだ名がビンラディン、無論本人がいないときの呼び名だが。
 この日の夕食フィリピンの一般的家庭料理といえるものでフィリピン風焼
 きビーフンのパンシットギサド、がフィリピン風のにくじゃが、ティラピアとい
 う淡水魚の焼いたものである。

 味はというとSさんのヨ−ロッパレポートにもあったようにほんと美味しくない。
 日本の味にすっかり慣れて食欲が湧かないと言っていたほど。

【フィリピンの文化:洗礼式】

 さてこの日は前日申し込んだ教会で洗礼式(ブレッシング)である。これは
 日本でいうお宮参りのようなもので本来生後2ヶ月位までに行なう儀式だ
 が特に時期が定められているわけではない。

 

 サンフェルナンドにあるSACRED HEART PARISH教会

 ただカトリック教徒が大多数を占めるこの国で洗礼を受けるということ
 はお宮参り以上に社会的な意味合いは大きいいようだ。

 というのもこの洗礼を受けましたよという教会発行の証明書は、出生
 証明書がなくてもその代わりとして通用する位だからである。 
ともあれ洗礼式を行なったのはである。

【フィリピンが日本人が結婚式を挙げるには】
 因みにカトリック教徒以外の日本人がフィリピンのカトリック教会で結
 婚式を挙げる場合原則としてマニラに事務所のあるの日本人神父、
 西本神父の紹介状が必要。同神父に直に来てもらうことも可能だが
 費用はかなり高いらしい。                           

 話は元にもどるが、洗礼式はそう長い儀式ではなくまあ我慢していら
 れる。最近ではフィリピン人達もビデオカメラ持参で撮影にいそしんで
 いることが多い。当日は申し込み者がそう多くなく貸し切り状態だった。 

【風 俗】
 ところでこのジェリービー店のあったバリバゴだがアンゲレス市の中心
 街にあたる。南北に走るマッカーサーハイウェイ(この道は遠くマニラか
 ら続いている)。そしてクーラク空軍基地(91年まで米軍が使用)北端に
 沿うように東西に走るフィールドアヴェニューの交差するあたりから
 西側、北側の道路沿いに繁華街が形成されている。オロンガポ市の
 ス−ビックが横須賀だとすればアンゲレスは横田といったところか。

 米軍はピナツボの大噴火後間もなく撤退するが歓楽街はそのまま残
 った形だ。

 

 写真は私が独身時に渡比した際常縮にしていたマリムマンションホテル。
 マッカーサーハイウェイ沿いにある3つ星クラスの由緒あるホテルである。
 フリントは裏側にあり、建物の中の通路を渡るか建物の左側から回り込む。
 ホテルの地階はTOKYOというゴーゴーバーだが周りにもレストランやカラオ
 ケバーなどが軒を連ねるちょっとしたプレイゾーンである。

 私がマリムマンションに宿泊していた当時廊下では日本語が飛び交っていた。

 一般にフィリピン人はいわゆるゴーゴーバーよりもこの手の店を好むようだ。
 店の中には大きなステージがあって踊りこを見ているだけならそうお金はか
 からない。しかし踊り子を席に呼んで相手をさせるとなると話は別だ。

【墓参り】
 11月1日は日本でいうお盆にあたる日。フィリピンでも墓参りなのだ。

 

 日本でも7月(地方によっては8月)のお盆時期はの墓はお参りの人でごった
 返すがこれに輪をかけて混雑しているのがフィリピンのお盆なのである。

 特にひどいのが墓地の前の交通渋滞で右にも左にも行けないような状態
 がずっと続く。 何故かような大混乱になるのかというとこれはお盆の日に
 限ったことではないが、ひとつに信号機が殆どの交差点に設置されてない
 ことが考えられる。交差点はわれ先を急ぐクルマで常にごった返しており
 ここを突っ切ったり曲がるには日本のように優先車にブレーキを踏ませな
 いようなタイミングを待っていては半永久的に渡れないといっていい。

 隙間を見つけたら相手がブレーキをかけて衝突を避けられるぎりぎりの
 タイミングでとにかく突っ込むのである。そして自らの存在を知らしめるべく
 クラクションを鳴らしまくる。
 日本でやったら100%喧嘩になる行為の連続といっていい。

 

 回りはもうお祭りか何かの騒ぎのようである。何しろ屋台があちこち
 に出店されバーべキューなんかを売っているのである。

 フィリピンのお墓は土葬のためか全体に大きめ。 面積がゆったり
 ととられている。特に金持ちは囲いで覆われていてそれなりに立派
 なものだ。 しかし、一番立派な墓を建てているのは中国人。
 なにしろ屋根付きでちょっとした一戸建て以上の贅沢なものまである
 のは驚きだ。

【最近の生活レベル】

 明日帰国ということでもう一度サンフェルナンドのSMに行くことにな
 った。SMではまず子供の喜びそうなお菓子などを買ったりして後
 、チョーキンという中華料理のファーストフード店で昼食。

 この店も最近フィリピンでは流行りであちこちで見かけるが価格も
 安く清潔な感じ。が、味の方は良くも悪くもフィリピン風。 日本の中華
 料理の味を期待すると裏切られる。

 

 しかしフィリピンという国なんでこう何もかも美味しくないのだろう。
 まあこの辺は多分に味覚の問題もあるのかもしれないが……。

 しかしこのSMを歩いていて最近のこの国でも中産階級が増えつつ
 あるなと思わせる店がいくつか目に付いた。

 

 まず旅行社、海外へのパックツアーも扱っていて中には日本への物
 もあった。携帯ショップなんかはいかにもという感じで貧乏でも皆カッコ
 つけて持ちたがるのは国民性かなとも思った。

 しかし、驚いたのは登山用品を扱う店があったこと。およそ山登りなど
 とは無縁と思われていたこの国でも何かが変わりつつあると感じた。

 

 もっともフィリピンの山はとても危険なので日本のように自由に歩けると
 は思わないが…。
 また通路中ほどで展示してあった日本車、日産のセントラ・エクセンタ
 (日本名ブルーバード・シルフィー)は日本円にすると200万以上の値が
 ついていた。かつてはぼろぼろのクルマばっかりだったのが最近
 ではこうしたきれいな車の割合が増えてきつつあるのだ。

 

 こうしてSMを後にしてサンフェルナンドからアンゲレスまではEXPウェイ
 で帰ったが、私のジプニーの調子がいまいちよくないのだ。
 言うには慣れない高速走行が祟ったらしのだが、私に言わせると冗談
 ではないよ、隣町に行ったぐらいでこの調子じゃどこにも行けないので
 は。ちゃんとオイル交換はやっているのかいといいたくなる。
 何しろメンテにお金をかけるという感覚が欠如しているのではと思ってし
 まう。

【帰国の日】
 翌日はいよいよ帰国日。 朝8時前に家を出て一路マニラへ。フィリピン
 航空432便チェックインは13:00頃だがマニラの大渋滞を考えていつも早
 めに出ているのだ。しかし私の帰国時さほどの渋滞はいつもなくたいて
 いはマニラの空港近くで時間を潰す。新しいT2には押し売りポーターもな
 く実に快適な空港になった。

 

 ターミナルビルに入るとすぐにPRのカウンター。ここでチェックインした後、
 右はしで空港税を払って Uターンしてくるように搭乗ロビーへ。
 成田へ着いて空港前でクルマ(インスパイア)を受け取ると、ようやく日本
 へ戻った実感。

 言様(仮称)、長編リポートありがとうございました。近日中にその2のご
 紹介を計画中です。

 いらっしゃいませフィリピン経由でタイランド。