【ちょっとコーヒーブレイク】
タイの携帯電話番号が長くなるお話、通信省では増え続ける
携帯電話の番号対策として、タイ国内全体の携帯電話番号を
08を使用する準備をしている。
現在9桁の番号であるが、今年の10月からは10桁
(08-xxxx-xxxx)になるそうだ。
携帯電話番号変更に伴い、番号は現在の9,000万から、3億へ
と増加することになり、将来30年に渡り供給することができる
としている。
変更になるのは携帯電話だけで、2006年10月1日より開始
予定。固定電話に関しては何の変化ないそうな。
【フィリピン里帰り:その2】
それでは、Sさんの友人の言さん(仮称)、フィリピン里帰り
旅行記のご紹介です。
実はGさん、ヒゲを生やせば、アロヨ大統領の前に大統
領をしていた美男子俳優出身の(名前は(?_?)に大変似ている)
と思うSさんです。
私は29日成田からフィリピン航空431便でマニラに向かった。
前回はニューヨークの同時多発テロの直後、今回は台風10
号と渡航が危ぶまれるほどではないが、多少の足かせには
なった。
断続的に降り注ぐ雨の中E-70-Mというバス利用のコンコース
より定時に機内に乗り込んだが機体の再点検を理由に離陸
は1時間30分遅れた。
しかし飛び立ってしまえば、雨なのは初めの1分位で飛行は
安定していた。
ただこの遅れが原因なのかNAIA-2に到着後もターミナルビル
に直接入るコンコースが全て塞がっており30分も待たされた
挙句またもバス利用となってしまった。 ビルの脇から中に入
るとすぐ入国審査。
フィリピンでは日本のように気の利いた公衆便所は少なく、あって
も汚い。 そこでよく使うのがガソリンスタンド。
大きなスタンドなちょっとした買い物もできる。ちなみにガソリンは
リッター/26ペソ位で円にすると50円ちょっと。
3年前は12~13ペソだったのですごいインフレなのが判る。
(これはタイも同じ2年前リッター18バーツ(54円)だったガソリン
が現在29バーツ(約90円(>_<)。。
タイも少し大きめGSにはセブンイレブンや、各ガソリンスタンドの
チェーン店コンビニや食堂が付いている
ので、便利、うたい文句は「きれいなトイレ」。
どこの国も公衆便所の管理は難しい様です。
(フィリピンのワゴン車は、右と左側にスライド扉が付いているの
が特徴と思うSさんであるが、右側通行の国には右扉だけが合っ
ている様に思うのはSさんだけでだろうか?)
カパスの街を通り過ぎる頃にはすっかり明るくなり朝の風景がを
見せていた。この国道3号線は、別名マニラ街道といいマバラカ
ットまでのEXPウェイを引き継ぐ北ルソンの幹線道路である。
その昔マニラ方面から攻めてくる米軍から逃れるため多くの日本
兵や民間人が通ったルートでもある。殆どが未だに2車線ながら
両側に並木が続き幹線の雰囲気は十分ある。
しばらくいくと州都タルラック。タルラックはアキノ元大統領のお膝
元で、街の中心部にあのペニグノ・アキノ氏がマニラの空港で
狙撃された瞬間を模った銅像が置かれていた。
しかしドライバーは委細かまわずジェロナ、パニクイ、サンマヌエル
とどんどん飛ばしていく。
2車線の道路をゆっくり走るジプニーヤトライシクルをかわして
対向車線に何度も出るが、ドライビングの腕は確かで安心感
はある。パンガシナン州に入り、ビリアシスを経てウルダネタ
の街へ。
ここでドライバーは右折。通常バギオへは直進だが、どうやら
マナオアグの教会へ寄っていくらしい。
しばらくいくと木橋が現れた。1車線で橋の袂には紙コップを持
った男が立っており、ドライバーはその中にコインを投げ入れた。
どうやら決壊した橋の仮修復費用を回収しているらしい。
ウルダネタから州都ダグパン、そしてマナオアグといったあたり
は昭和20年初頭マニラ、リンガエン湾からの米軍を迎え撃つ
日本軍の前線基地となった地域でもある。激戦の末日本軍は
撤退していった。
マナオアグの教会は、アサワによると礼拝することで願い事が
叶うという言い伝えがあるらしい。
8時20分頃、クルマが駐車場に乗り入れると早速礼拝に係るグッ
ズを少女たちが売りにくる。この強引な執拗なまでの売り込み
スタイルはフィリピンならではである。少女なので威圧感はない
が日本では見られない光景だ。
礼拝堂は天井が高く美しい。教会の建物の脇には、蝋燭を立
てるスペースがあり、これがかなり広い。ここで蝋燭をたて願い
事を念じるらしい。最近ではアロヨ大統領が選挙前ここで礼拝
し大統領に再選されたとのこと。かなり御利益があるようだ。
9時近くに駐車場へ戻り、ここで朝食。フィリピンでは気の利い
たファミレス等が少ないことからドライブ中公園などに駐車して
持参の食事をとることが多い。
メニューは殆どフィリピン料理。率直私は余り得意ではないが
この日はまだ涼しかったこともあり、すんなり喉を通った。
そして9時20分頃再びバギオに向かって発進。
(てんこ盛り。。。フィリピン風ですね、(^o^)味よりも量で勝負)
教会前の道路案内図を見ると右手(南東)がウルダネタ、下方
(西)がダグパン、右斜め上(東)がビナロナン、左斜め上(北東)
がポソルビオとなっている。 クルマはポソルビオへ進みここか
ら再び3号線へ戻った。
しばし北上しシソンを通過。 ラ・ウニオン州をかすめてベンゲット
州へと入る。
間もなくバギオへの登山道ケノンロードだ。ケノンロードは明治
時代バギオを避暑地として開発したいアメリカが、出稼ぎの日
本人人夫を使って開通させた全長45kmになる山岳道路で、
日本名をベンゲット道という。
途中にキャンプ1~キャンプ9まで9のポイントがある。
このキャンプというのは道路建設の際の中継基地で飯場
のあったところだという。しかし現在ではポイント名と言った方
が正しい。
ドライバーはエアコンを消してジプニーやトラックを次々に追い
越しながら結構なスピードでハイエースを走らせる。
時々、それをランドクルーザ、やパジェロといった4WDの新車
が更なるスピードで追い抜いて行く。
フィリピンも金持ちが多くなってきたなと思う。しかしドライバー
が上手いせいか、グネグネ道の不快感は最小限度だった。
キャンプ6を過ぎ11時少し前ライオンの頭を模った大きな岩の
ある地点で休憩。
観光でここを通過するフィリピン人も車を止めて記念写真を
撮っている。 ここまで来ればバギオも間近だ。
□バギオシティの想い出:12時過ぎ市内に入るが日差しがあ
るため思ったほど涼しくない。まず最初に行ったのが宿探し。
人数が人数だけに、ホテルタイプでなくファミリーロッジタイプを
探す。ドライバーが案内所の様なところで聞いてきたところを
あたる。
最初に連れていってもらったところは3階建てのメゾネットタイプ
で造りや広さは申し分ないがなんとなく日本的な清潔感に欠
けかび臭いのでパス。夜お化けが出そうな雰囲気だし。
2件目はファミリータイプの部屋が中心でキッチンなども付い
たアパテル。玄関にはフロントがあり、中にはフィリピン料理
の匂いがたちこめている。トリプルルームが2部屋にツインが
1部屋、リビングで2800ペソ。バギオなのでエアコンはない。
(と言うより不要)本当は4000~5000ペソ出しても更に綺麗な
部屋をとも思ったが日本じゃないのでこんなもんかなと妥協。
まあ、ホテルでいえば3つ星といったところか。
部屋に入って少したつとすぐに日のあたらないところでは涼し
いことが判った。予想はしていたとはいえ付いてすぐ感じたの
はマニラはおろかアンゲレスと比べても治安がかなり良さそう
だということ。
玄関にはセキュリティが一応いるがマニラほど物々しい雰囲気
ではなく、歩き回ってもそう危ない感じはしない。さすがに観光
都市である。面白いのは、フィリピンの地方都市なら必ず見ら
れるトライシクル(サイドーカー付きバイクタクシー)がないこと。
これは山岳都市で急坂が多いことも一因ではないかと思う。
移動は地元の人はジプニー、観光客はタクシーということになる。
因みにタクシーはダバオやセブと同じで比較的安全とのこと。
部屋に荷物を置き、最初に行ったのはまだ開店間もないバギオ
SM。バギオまで来てまた買い物かよと思ったが市の中心部北側
に作られた建物は立体的かつ眺望もよく日本のちょっとしたショ
ッピングモールなど凌ぐほどだ。
1Fの駐車場は有料ながら東京並みに整然としておりある意味フィ
リピンらしくない。圧巻なのはSMとテナントビルの接合部に設けら
れた円形のフロア。中央部分は吹き抜けになっていてバギオの
自然の涼風がクーラー代わり。
フロアの外側に出ると市内が一望出来る好立地なのだ。
この吹き抜け部分の1Fがフードコートになっていて小奇麗な中で
フィリピン料理を食べられる。しかも安い。
自然の涼風は日本人には心地よい天然のクーラーだが、涼しさ
に慣れてない平野部のフィリピン人には少々寒いらしい。
それにしてもフィリピンにこれほどの快適空間があるとは16年前
初めて渡比して以来初体験である。
この後向かったのがキャンプジョンヘイ。米軍の保養地だった
ところで広大な敷地にゴルフ場やテニスコートなどがある。
しかし広大なためクルマで通っただけという感じになってしまった
。場所が定かでないが、途中休憩にクルマを止めたところに蝶
をネットの中で放し飼いにしている場所があり、入場料が1人3
0ペソと安くないが珍しいので入ってみた。
珍しい蝶が数多くいてゆっくり撮影したかったが早々に出る。
ただキャンプジョンヘイ自体で遊ぶのは今回は時間の都合上
パス。そのまま郊外のマインズビューパークへと向かった。
ここはバギオでも有数の景勝地で、展望台からベンゲットの金、
銅山、美しい山並みが見え壮観な眺めだ。
土産物の店が傾斜地に軒を並べある種神社の参道のよう
でもある。
売っているもので目に付いたのは男性の性器を模った木の
置物やイチゴジャム。苺はフィリピンではバギオが特産らしい。
値段も安いのでいくつか買ってみたが味のほうは?????。
昔日本にあった、ただ甘いだけのジャムのようなテイストだ。
因みにここの売店で、フィリピンの土産物としては珍しい毛布を
買った。スパイダーマンの絵柄入りで200ペソ位。
薄手だが安いので、もう一枚買っておけばよかったと後悔しき
りである。ナナイは箒を何本か買っていた箒もバギオの特産品
のひとつで3本で100ペソと信じられない安さである。
ここで日も傾いてきたのでホテルへの帰路につくが途中マンシ
ョンといわれる大統領の夏季公邸に寄った。ライトパークに隣
接するこの公邸はやはり観光名所のひとつだ。
イギリスのバッキンガム宮殿のゲートを模したといわれる入り
口にはセキュリティがいるが、フィリピンには珍しくチップなしで
中へ入れてくれ撮影もOKだった。
このバギオという町、主な人種がイゴロットということもある
だろう。最初に感じたとおり危なげなく全てにおいでマニラ
ほど毒々しさがない感じ。最初アンゲレスに行ったときマニラ
よりは安全だと感じたが、バギオは更に快適。気候も含め
日本人には居心地はいいだろう。とはいってもそこはフィリピ
ンなので最小限の注意は必要だが。
マンションからホテルに戻ると一休みしてディナーへ。
フィリピン料理のバリオフィエスタへ行くことにした。
フィリピン料理のチェーンで渡比したことのある人なら一度は
行ったことのある店だと思うが、バギオのそれは傾斜地に作ら
れ店構えが素晴らしい。店の前の入り口に至る階段には等
身大の人形が並べられ独特の雰囲気を生み出している。
原住民族のイゴロットや芸能人、ガードマンの人形まで揃っ
ていて、これがアサワの家族には大受け。
写真を撮って盛り上がった。店内は明るく清潔感に溢れ加
えて山の澄んだ空気とあいまって実に快適。
驚くのはフィリピンの店舗には付きものの銃を持ったセキュ
リティがいないこと。治安のよさを物語っている。
メニューはカレカレ&バゴーン、なすのハンバーグなどフィ
リピン料理が苦手の私もこのときは初めて美味しいと感じた。
これで料金は2400ペソ。つまり\5000弱である。飲み物込み
で一人\500、日本のバカ高く大して旨くないフィリピン料理店
とは雲泥の差である。隣の席で誕生日を祝うお客さんに、
店員がオペラ調?の歌声で盛り上げていたのが印象に残った。
こうしてホテルへ戻り、バギオで購入したスパークリングワイ
ンを飲んでこの日はベッドに入った。
夜はさすがにエアコンどころか肌寒い位で昼間購入した毛布
が早くも役に立った。 因みにバギオでのナイトライフだがパ
サイやアンゲレスのような歓楽街はない。日本でいうと文教県
の長野みたいな感じ。
【ちょっと国境ネタ】
タイ国ナコンパノム県のメコン川から対岸にラオスを望み
ながらの朝日です。
すがすがしい朝の風景です。行ってみたい。。
【お話戻ります。
翌31日8時30分頃ホテルをチェックアウトし、駐車場でクルマ
に乗り込もうとしていると豆腐菓子売りの青年がやってきた。
菓子を二つ買った。コップに荒く砕いた豆腐を入れ黒蜜のよう
なたれをかけた実にシンプルな代物でこれをストローですす
るが、これがなかなかいける。
この日最初に向かったのがバギオ大聖堂。その美しい建物
はカトリック信者ならずとも一見の価値はある。
これは確かに素晴らしい、、、ヨーロッパのような。。。
先の戦争では、避難所となって空爆から多くの人の命を救っ
たという。また、現在の建物は1990年の大地震の際修復さ
れたものだという。
そしてこの後市の西側、ドミニカンヒル通り沿いの丘にある
やはりカトリックの神殿ルルド洞窟へ行った。
通りからこの神殿に行く途中、イゴロットの民族衣装を着た
おばあさんたちが道すがら座っていて、カメラを向けて
パシャッと撮ると撮影は有料なので料金を払えと言ってきた。
なるほど日本の観光地と違ってキャンペーンでここに座ってい
るわけではないようだ。これがフィリピン流商売である。
どうせ有料ならとお金を払って撮り直した。
この神殿の頂上部までは長い階段が続き上っていると神殿
にお供えする花を少女たちが強引に売りにきた。
顔を横に振って意思表示しないとかなりしつこい。これも毎度
のフィリピン流。
この後最後に市の中心部に位置するバーンハム公園に行った。
ここは文字通り設計者ダニエル・バーンハムの名にちなんで付
けられた市民の憩いの場所である。
よくフィリピンのTVでバギオというとここが画面に映し出される
というシンボル的な場所でもある。
ここでも強引な物売りやまれにはひったくり等もありかつてほど
安全ではなくなったとはドライバー氏の話。
それでもマニラのリサールパーク等と比べるとずっと寛げるし
爽やかだ。 レンタサイクルがあり、自転車を借りるが乗り回
せる範囲が思ったより狭く少々がっかりしたがそれでも子供は
大喜びで走り回っていた。
池の北東部にはシーソーや遊具のあるコーナーがありしばらく
童心に帰って楽しんだ。
こうして楽しかったバギオ滞在はあっという間に過ぎた。帰路に
着いた私は、市街を後にして行きがけ通ったケノンロードに入り、
間もなくキャンプ8~7にある展望台に寄った。
ここはケノン道路の険しさ、凄さが一望できる有名ポイントで無料
である。それにしても吹き抜ける風の爽やかさは、これがフィリピ
ンかというほど気持ちよく、今回見逃したところも含めて再訪した
いと思わせた。
帰りは急いだので特に観光地には寄らなかった。 途中の食事は、
パンガシナン付近のマクドナルドで済ませた。
フィリピン人にはジョリビーの方が好まれるが私は日本と殆ど同じ
味のマックを好む。
前回の渡比時60ペソだったビッグマックのセットが95ペソ、日本
円にすると\200位なので変わらないが結構な値上がりで依然と
して現地では裕福な人用。
午後行きがけ素通りだったタルラックの町で少し写真を撮った。
アキノ氏の銅像からそう遠くないところで一台のSLが展示してあっ
た。このSLはかつてマニラからラ・ウニオン州のサンフェルナンド
までを結んでいた路線で使われていたもので、その途中には亜沢
の住んでいたアンゲレス、そしてこのタルラック、ダグパンといった
町があった。その線路の一部は今尚国道3号線沿いに垣間見る
ことが出来る。
この路線は戦争中、日本に占領されていた一時期は日本国内か
ら持ち込んだSLも活躍していたようだ。
しかし、これだけ利便性の高いものがなぜ廃線になってしまった
のか。鉄道国の日本人からみると不思議でならない。
ともあれこうして、バギオの小旅行は終わった。
費用はドライバー+レンタカーが2日で5500ペソ、ホテル代+
食事代が5000ペソ。その他買い物や雑費が3000ペソ位。
日本円にして30000円足らずでこれだけてんこ盛りが実現してし
まうのである。
最近この手のパーティは、料理を自分で作らず、コーディネイタ
ーに依頼するのが中流以上の家庭では流行っているそうだ。
そこで前日コンタクトをとったコーディネイターに電話をするが
つかまらないので、こちらから訪ねることにした。その3につづく。
言さん(仮称)ご投稿感謝サラマットです。
【ちょっとコーヒーブレイク】
Sさんの家内、体脂肪計なる物を持っている、普段あまりデブ話
は避ける様にしているが、自宅にあるのでは仕方がない、ちょっ
と計ってみました。。。何と22キロも脂肪だと。。。。1斗缶。。。。
燃やしたら良く燃えそうです。。。
もう少し減らそうと思い、トイレ+お風呂。。。おおお減った。。。
20キロ。。。でも一斗缶。。。
最近では脂肪率よりお腹回りが90センチを越えると行けないそ
うな。。。Sさんの奥様、、洋裁が趣味でメジャーもっている。。。
計ったら110センチ。。。
お腹を目一杯引っ込めて計っても見た、、、88センチだった。。
セーフ?。お腹回りが気になったら、
お腹をへ込めて計ると精神的な余裕が出てくる様なのでお勧め
です。(^_^;)m(_ _)m