タイの文化(琴ちゃんが来た)のお話 2010年2月吉日 |
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【ちょっとS家のお話】 2月5日から懸賞旅行に当たった友人のおまけで韓国旅行6日間へ 行く予定だった長女氏君、5日帰宅すると家に居ました、同級の友達 と一緒に。。 「どうしたの?」 「友達........が病気で延期」 良く聞くと、友人のお父さんが心臓病で入院したそうな。。 「行かないなら、お小遣い返却ですか」 「いいえ、折角いただいた物は失礼ですので返却できかねます」 と。 数時間、、。 「明日の晩、韓国行ってきます」 家内「お友達のお父さん、悪化したらどうするの」 「友人曰く、1日見舞ったら、もういいって」 コンタクトレンズの懸賞で、当たった旅行で、2名の同伴者と韓国へ 行けるそうな。。以前8名と書きましたが80名だそうです。 1日遅れでも行ける懸賞って凄いと思った。。。と言うことで、、、 行ってらっしゃいませ韓国、写真のお土産待ってます(^_^)/~(友人の お父様のご回復も) その矢先に娘から電話が。。 2月6日11時過ぎ。。。。 「お父さん今日の午後便で香港へ行ってきます、韓国は寒いので 香港になりましたぁ」 と。タイの懸賞旅行はかなりいい加減(自由 度が高い(?_?)、、行ってらっしゃいませ〜香港。 ちょっとタイ語教室 ・外国旅行:パイティアオ・パイ・タンプラテート。 ・苛やましい:イチャーァ ・お土産:コーン・ファーク 【ちょっとS家のお話】 S家にピンさんが来た、本名は波さん(仮称):19歳だと。。日本の 大学タイ語学部からホームステイでS家に来ました。たしか5人目(?_?) ナリさんは元ラオス人(現在帰化して日本人)、東京都品川区生まれ、 ご両親は埼玉県大宮市に住んでいると事(10年就業滞在すると日 本国籍に帰化出来るそうです)日本語は、もちろんネイティブ、海外 留学(オーストラリア)も3年半経験しているので英語も上手い才女で した。 (そう言えば20数年前、Sさんがタイで働き始めた時に、両親が東京 から引っ越して大宮の公団住宅を購入したことを思い出す、確か大 宮市指扇駅で当時は埼京線という名の山手線が走っていた) お話戻ります、ナリさんの大学は、娘の通っている国立大と提携して、 イ語の授業を受けるのです。(長女氏君はその付属のインターナショ ナル高校生) 長女氏君いわく「英語上手いよ、ずっと英語でしゃべってた」 と。 今回留学先のブラパー国立大学の先生が付けたニックネームは 「ピン=かんざし」でした、ニックネームは毎回変わり、花、植物、虫、 等々。。。(理由は名前を覚えるのが大変だから、、、 きっとSさんみたいな性格の方なのでしょう) **違ってました、ピン=ハープ、琴、木琴も、琴ちゃんですね。 (写真でご紹介出来ないのが残念m(_ _)m皮e〜です) 今回の留学生 達は楽器の名前と判明。 ナリさんは、小柄な美人さん誰かに似ている(?_?)(?_?)(*_*)(Sさんは 女優さんの名前を覚えるのも苦手です(-_-;))、 ご両親はベトナム戦争の際に日本に来たそうな (映画キリングフィ ールドを思い出す)。 Sさんも海外生活が長〜いので分かりますが、 外国でのビザ取得、申請書類、更新時の煩わしさは大変な物があるの です、ましてや共産圏からの出国。。。。 Sさんのラオスのイメージは四角いマヤ文明の遺跡の石仏見ないな顔 。。。でしたm(_ _)m、タイでは東北のことをラオ(ラオスの意味、言葉が ラオス語と8ー90%位重複しているから)と、言います。東北美人の 産地としてウボン、ウドン、マハサラカム、ブリラム県があるのですが、 コラート(ナコンラチャシマ県)やコンケン県を代表とする不美人の産地 も有名なのです、コンケンとコラートのイメージが定着したのはきっと 社員の顔立ちからだと(-_-)この度、知らない事について思い込みを持 つことはいけないと。。反省、、 さぁS家のホスト体験記始まりです。 早速家族でシーフードで食事、場所はS家から近いレムチャバン港内 にあるレストラン。。食事をしていると、野豚が道を。。。。。 (近くのお寺で飼っているのだと。。)、隣の白い車はSさんの家内の車 ウィッシュ。 |
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